2006年秋CCS特集:第1部総論

CCS業界に大きなうねり、最古参ベンダーが経営破たん

 2006.12.13−コンピューターケミストリーシステム(CCS)市場に大きなうねりが押し寄せてきている。ここ数年、中堅や新興のベンダーが、長年の歴史と実績を持つメジャーベンダーの足元をおびやかすという図式が目立ってきていたが、ここへ来て、最も初期からのベンダーである米トライポスが事実上の破たんを迎えるという驚くべき事態に立ち至った。CCSは、原子や分子を扱う化学・医薬・材料系の研究開発を支援するIT(情報技術)として、もはやなくてはならない存在になっているが、計算で“化学”のすべてを解き明かすようなレベルに達するのはまだまだ未来の話し。その意味で、新しい手法や理論を開拓することによって新しいベンダーが躍進する余地が十分にある。常に“革新”を提供し続けるプレッシャーに追われるところに、CCS事業の難しさがある。

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 トライポスが身売りにいたったという衝撃的なニュースは、11月20日(米国時間)に飛び込んできた。ソフトウエア事業をベクターキャピタルに2,560万ドルで売却すると発表したもので、来年3月末までにすべての手続きが完了する予定。

 別図に、米国のメジャーベンダーであるトライポスとアクセルリス、ElsevierMDLの3社を中心にした業界の変遷をまとめた。CCS業界では、1990年代後半から2000年代初めにかけて大規模な再編が生じ、CCSベンダー同士の買収や合併が盛んに行われたが、今回のようにまったくの第三者に身売りするというのは初めての事態であり、それだけ驚きも大きい。

 ベクターキャピタルは、これまでにLANDeskソフトウエア社やAvocent社、Saviテクノロジー社をスピンアウトさせた経験があり、現在はウォッチガード社やコーレル社も所有しているという。ソフト業界で盛んに活動している投資会社のようで、これらの実績を踏まえると、トライポスのCCS製品群は何らかのかたちでこれからも開発・販売・サポートが行われていくと考えられる。

 国内では、住商情報システムが1992年1月(当時は住商エレクトロニクス)から総代理店を務めているが、国内での事業体制がこのまま継続されるのかどうかも注目されるところだ。

 さて、トライポスの設立は1979年。現ElsevierMDLであるモレキュラーデザインが1978年、現在のアクセルリスの母体となったモレキュラーシミュレーションズとバイオシムがともに1984年設立で、業界で最も歴史あるベンダーの1社である。1986年の夏ごろに三井物産が初めて国内に紹介した。

 トライポスの事業構造としては、分子モデリングシステムとして長い歴史を持つ「SYBYL」を中心としたディスカバリーインフォマティクス(DI)事業と、専門の研究設備を利用した受託研究を行うディスカバリーリサーチ(DR)事業−が両輪となっている。

 今年9月末までの9ヵ月間の実績をみると、売り上げは前年同期40%減の2,503万3,000ドルと大きく落ち込んでいるが、DI事業の方は5%減の1,776万3,000ドルにとどまっており、前年同期の2,084万2,000ドルから434万7,000ドルへと急落したDR事業が大きな影響を与えたことがわかる。1−9月期の収益は、前年同期の95万2,000ドルの黒字から911万6,000ドルの赤字へと転落している。

 実態として、トライポスのDR事業は、ファイザーとの間で締結していた1億ドル近い規模の4年間のプロジェクトに依存しており、その契約更新がならず、またそれに代わる大型プロジェクト受注もできなかったことが、今回の直接の要因だという見方が強い。

 別図にあるように、このDR事業の母体は、1997年11月に買収した英国のファインケミカル企業であるレセプターリサーチ。この時から、ドライ(ソフト系)とウェット(実験系)という両輪がそろった。興味深いことに、同時期の1998年2月にはファーマコピアがモレキュラーシミュレーションズ(MSI)を買収している。

 当時はちょうど“計算化学の冬の時代”。1980年代末から1990年代前半にかけて、スーパーコンピューターを民間の化学会社までが競って導入してCCSバブルを繰り広げた反動から一気に失望感が広がって、ベンダー各社も難しい立場に立たされていた。そのころに隆盛したのがコンビナトリアルケミストリーで、計算よりも実験を大規模に実施することが、新薬開発への近道になると注目を集めたのである。

 そうした背景から、トライポスのレセプターリサーチ買収、ファーマコピアのMSI買収が生じたといえる。大規模な化合物ライブラリーを構築し、ハイスループットでのスクリーニングを行うコンビナトリアルケミストリーを支えたのも、ITの支援あってのことであり、その意味では「新しい方法論のCCSで新薬に迫ることができる」という希望に満ちた展望が開けたかに思われた時代であった。

 アクセルリスの方は、ドライとウェットのシナジーはないと早々に見切りをつけ、2004年4月に逆に親会社のファーマコピアを切り離して、ソフト専業の体制に戻した。結果的には、ウェット事業を引っ張ったことがトライポスの誤算になったということだが、ファイザーとのプロジェクトが進行中だっただけに、このあたりの経営判断は難しかっただろう。

 トライポスは、DI事業をベクターに売却することになり、ウェットのDR事業は残るが、最終的にはそれも売却したい意向だと伝えられており、現在のトライポスは遠からず解散にいたると目される。

 ここ数年は、モデリング・解析系でケミカルコンピューティンググループ(CCG)やシュレーディンガー、インフォマティクス系ではケンブリッジソフトなどのベンダーが大手に迫る勢いをみせており、今後のCCS業界の勢力図の変化が注目される。